天狗の湯 弐

山の日の続き。

 

さて、再びねずみ色の山での話。前にも増してたくさんの家来たちが、今度は息子をとらえて連れ帰るために来ていた。息子は大変な力持ち、天狗の遣いと噂されていたから、家の四方八方を取り囲んだきり恐ろしくてなかなか手を出せない。と、そこへ、家の中から一本の矢が力なく放たれた。矢には文が結ばれており、誰かひとりと話をしたいと書かれていた。

私が行こう、と家来たちを引き連れて来た長が言った。家来たちは止めたが、長は覚悟を決めていた。長はひとりで家の中に入っていった。ところが、待てども待てども長は戻ってこない。家は静まり返っている。蝉の鳴き声が淋しげに変わり、黒い烏が飛び交い、ようやく長は家来たちの元に戻ってきた。手には文がひとつ。

 

息子は殿様を治すために天狗の湯を用意すること

天狗の湯は城まで持ってゆくことができない

明日より七日続けて、決められた道でここまで通うこと

その間、殿様も家来も口をきかぬこと

殿様が食べられるようになったら、父親を返すこと

 

長は息子とそのような約束を交わし、家来たちは誰ひとり傷を負うことなく城へ帰ることができた。

城では息子のいう方法が厳しすぎるといって反対する者もいたが、もはや殿様は何かを命じる気力もないほど弱っていたから、これといって打つ手もなく、息子を信じるよりほかなかった。

次の日の朝から、殿様一行の山登りが始まった。一日目、子どもでも登れるようなゆるやかな道だったが、殿様はほとんどかごに乗って登り、最後の最後に、家来に肩を抱かれてほんの少し歩いた。

殿様がひとりで家に入ると、息子は囲炉裏で涌かしていた鉄瓶から湯を一杯ついで殿様の前に置いた。これが天狗の湯か、と驚くような変わったところは何もない。ただの湯に見える。だが、殿様は一口飲んで目を見開いた。甘い。甘いが、甘ったるくはなく、澄んでいる。そして、温かい。温かいが、重苦しくはなく、不思議と汗がひいてゆく。天狗の湯をひとくち飲むごとに殿様の体の中は日の光のように輝き、頭の中は滝のように涼しく透き通っていった。

二日目、三日目と、殿様は同じ道を少しずつ自分で登れるようになっていった。四日目には道が変わってやや急になり、汗びっしょりになった殿様は天狗の湯をおかわりした。五日目、道はさらに急になり、六日目は途中に細い川があったが、殿様は家来に手をひかれてなんとか渡りきった。殿様も家来たちも同じように日に焼けていた。そして最後の七日目……

 

今日はここまで。山の日の続きの続きはまた明日。