天狗の湯 参

山の日続きの続き。

 

殿様も家来も口をきいてはならぬと言われていたから、山には蝉の鳴き声と足音だけが響いていた。時々、風が森を揺らし、かすかに鉦のような太鼓のような音が聞こえた。山を登れるまでに回復した殿様は、天狗の湯をなんとかして城に持ち帰りたいと考えていた。もう元気になったのだから、少しぐらい話をしてもいいだろう。ほうびを出すといって息子に頼んでみよう。

家に入ると、息子はまた同じように天狗の湯をつぎ、差し出した。殿様が天狗の湯を飲み干して、さあ、話しかけようとしたそのとき、息子はまばたきもせずに殿様のことを見つめた。あまりにまっすぐ見つめるので、殿様は動けなくなった。

殿様があきらめたのがわかると、息子は立ち上がって土間へ行き、今度は茶碗を持ってきた。土色の茶碗の底には何か白いものが入っている。天狗の湯を茶碗に注いで箸でとき、殿様にすすめた。おそるおそるひとくちすすると、乳の味がした。殿様はそれを何杯もおかわりし、夢中で飲んだ。

ふと気づくと、殿様は囲炉裏のそばで横になっていた。どうやら長いこと眠っていたらしい。あたりは薄暗く、日が暮れようとしている。家の中がいやに静かだった。殿様は、はっとした。立ち上がって見回したが、息子がいない。家の外へ走り出たが、誰もいない。家を囲むようにして待っているはずの家来たちが、ひとり残らずいなくなっていた。山の頂のほうから音を立てて風が吹き荒れたかと思うと一瞬で静まり、あとには蝉が淋しく哀しく鳴いていた。

それから幾日もたたぬうちに、緑色の山のふもと、湖を囲むように住んでいる村人たちの口から口へ、天狗の遣いが殿様になったという話が広まった。緑色と紺色とねずみ色と、山と山と山とが、重なって三つの色に見えるぐらい山の多い村での話。緑色の山のふもとに湖があって、村人が住んでいた。紺色の山の中腹に城があって、殿様が住んでいた。ねずみ色の山の頂に洞穴があって、天狗が住んでいた。

 

どうどん どう かんか どどん